★ちびくろ散歩★

ひっそり本音を囁きます。

限定された思考は輝いて見える。-自己啓発時の視点ー

年齢のせいか、インドア系のせいか、私の周りにも自己啓発に勤しむ人が増えてきた。

※ところで自己啓発の定義ってなんなのよ?ってググったよ(笑)↓

 

自己啓発じこけいはつ)とは、自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。「 より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。

 

なるほど、仕事のスキルアップもそうだし、心のケアもそうだし、

とにかく自分を成長させる活動はまるっと自己啓発って呼ぶそうです。

なんだかとっても大人な感じで、とっても素敵な雰囲気。

全ての人が自己啓発したら、世の中すごい事になっちゃうんじゃない!?

 

と褒め殺しで終わりたい、終わりたいけど終われないのがブログの悲しい性。

もうほんと個人的な見解なんで、たんなる本音なんで…先に謝っておきます。 

「(´へ`;ウーム なんかすみません。

で何を言いたいかっていうと、そんな素晴らしい活動してる人達のはずなのに

違和感ある人多くない?って事なんです。

 

自己啓発推奨派の中には

自己啓発は素晴らしい、この考え方は素晴らしい、あなたの考え方はよくないから一緒に勉強してよりよい人間になろうよ♪」

と目を輝かして訴えかけてくる人が結構います。

よくよく話を聞くとその人の周りには同じ考えの人が集まっている事が多いです。

そしてさらによくよくよく話を聞くとマニュアル的なものが存在していたりするケースが多いです。

セミナーだったり、本だったり、崇拝者だったり・・・

派閥と言うかカテゴリーと言うべきか、

とにかく「あぁ あの思想ね」的なグループに所属してる事が本当に多い。

イメージで言うと「性善説」と「性悪説」みたいな?←よけい分かりにくいか?

そして何かしらの金銭のやり取りが発生する場合がほとんどです。

…モヤッと、いい話されててもモヤッと…。

 

そもそも自己啓発系のマニュアルって、何か特別な事が書かれているかと言うとそうではなくて、ごくごく普通の事が書かれている事がほとんどです。意外に(笑)

前向きになりましょうとか、なりたい自分になりましょうとか、逆に弱い自分を受け入れましょうとか。

道徳の授業で習った事と似ているかな?それをそれぞれ別の切り口で掘り下げて解説しているような印象です。

だからどんな内容でも行き着く先はだいたい、人に流されず自分自身と向き合って、コツコツと今出来る事をやりましょう、それを続ける事で自然と人生が豊かになるんですよ的な、とてもいい事が書かれています。

上記の「性善説」と「性悪説」も導入部は正反対の事を言っているけど、最終的には人は成長過程で善人にも悪人にもなりうる可能性があるから努力を惜しまず、善人を目指しましょうといった教えにたどり着く訳で、私からするとどっちも同じ事なんですよね。

考え方は全く逆だけどどちらも善人を目指し努力する。

これ自己啓発以外のなにものでもないじゃないですか?

目指すところが同じならば、そこまでの過程や考え方は違ってもいいはずなんです。

ポジティブでもネガティブでも、アクティブでもインドアでも、正解も不正解もないんですから、強引に変わる必要はなく自分の特性を把握し、自分にあった過程を探し出せばいいじゃないですか。

もっと言えば自分の考えとは違う色々な考え方を知り、取り入れられたらいいじゃないですか。

同じ計算をするにしても公式をたくさん知っていた方が有利でしょ?

だから自己啓発を目指すなら個人の視点から多角的な視点で物事みれるようにならないとダメなんじゃないかと思うんです、同じ思想の人同士で集まり、この考え方こそが素晴らしいっとアピールしてくる人達を見ると偏った意見を特別な意見のように錯覚してるだけなんじゃないの?って違和感をもってしまうんです。

同じ思考の人が集まれば意見が合うのは当然。

限定された思考は迷う事も、悩む事も必要がないので輝いて見えますが、それは本当に自分をより高い段階へ引き上げてくれる唯一無二の思考なのか…。

 

あなたの自己啓発井の中の蛙活動になっていませんか?